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真実も事実も世界によって変わる

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編

蝶屋敷での修業を終えた炭治郎たちは、次なる任務の地、《無限列車》に到着する。そこでは、短期間のうちに四十人以上もの人が行方不明になっているという。禰豆子を連れた炭治郎と善逸、伊之助の一行は、鬼殺隊最強の剣士である《柱》のひとり、炎柱の煉獄杏寿郎と合流し、闇を往く《無限列車》の中で、鬼と立ち向かうのだった。

 

 

この作品の世界線には理不尽が存在する

 

鬼滅の刃という作品や、その他アニメに限らず人の作り出す作品って どうしても架空のものであるから、現実と違ってハッピーエンド奇跡をより強く待ってしまうし、最悪を超えた最悪が訪れないものだと思いこんでしまう。(週刊少年ジャンプで掲載されているような作品なら尚更)

 

 

 

勝つのはいつも正義で、頑張れば報われる。

そういう歪んだ 当たり前 が少なくともこの鬼滅の刃の世界には存在しない。と突き付けられるが今回の映画の持つ意味の大きいところなんじゃないかと思う。

 


アニメで描かれた那田蜘蛛山での戦いでは、必死で戦うかまぼこ隊の前に柱が出てきて助けてくれる。

それ以外にも自分のピンチは仲間が救ってくれるしメインキャラクターの死が直接的に描かれるシーンはない。

あくまで主人公側にとって勝つのはいつも正義で、頑張れば報われる。という概念をこの鬼滅の刃という作品において、無意識下に刷り込まれていたところに 無限列車編である。


普通、十二鬼月を1人倒した後にもっとくらいの高い鬼が出てくるか!?

といった感想になる人が多いかと思うけれど、じゃあ普通ってなんだ?

 


映画を見ただけじゃ伝わりづらいかもしれないけれど 那田蜘蛛山で戦った累は下弦の伍。今回の無限列車編で炭治郎達が倒したのが下弦の壱。

この短い期間に彼らだってものすごく強くなってる。

ここだけ切り取ると勝つのは正義で、頑張れば報われる。といった刷り込まれた普通が垣間見える。

 


そんなシーンの直後に猗窩座の登場である。上弦の参である。

 


那田蜘蛛山での戦いのように都合よく増援は来ない。日は定刻にしか昇らない。急に疲弊しきった炭治郎たちが爆発的な強さを見せることもなければ、あんなに強かった柱ですら敵わない。

 


世の少年少女は突然突きつけられるこの理不尽とも取れる展開をどう受け取ったんだろう。

 

この展開をトントン拍子に進まない理不尽さに現実味があっていい、と捉えるか(フィクションの世界で現実味を感じる事の善し悪しはここでは問わないものとする)あまりに残酷だと憤り絶望するのか。

 

どちらだとしても、どちらとも違ったとしても視聴者(読者)に構わずこのお話は主人公である炭治郎が諦めない限り続いていく。

 

 

 

胸を張って生きろ 心を燃やせ


話は変わるのですが私は鎹鴉が好きです。賢くて聡明で可愛い。

誰よりも自分が仕える隊士のことを見守ってきた。

そんな彼らが、ずっと一緒にいた人の最後の時にも必死に自分の責務を果たす姿が描かれていたことか嬉しかった。

これから役目を終えた煉獄さんの鎹鴉はどうなるんだろう、どうしたんだろう。

 

誰よりも熱く正義感に溢れた煉獄さんが責務を全うし後輩に全てを託し終えた時に、憑き物が落ちたような笑顔を見せる。

もう一度あの笑顔が見たかった。

 

 

最後になりましたが鬼滅の刃無限列車編公開おめでとうございます。

作画がとても綺麗で、沢山沢山泣きました。

また必ず劇場に足を運びます。